働きだすと死にたくなる

劣等感の塊、ストレスに脆弱な私、働きだすと決まって「死にたい死にたい」と呟くのが癖である。
発達障害は社会に出てから生きづらさに気づき初めて受診をするパターンも多い。私もこのタイプだ。

死にたいといっても実際は痛いのや苦しいのは勘弁だから実行にうつすことはない。


安楽死制度があったら、よく考えたうえでお世話になっていると思う。

生きるのってしんどいからさっさと楽になりたい訳である。
こればかりはどんな本を読んでも一応精神領域で仕事をしているはずの私でも消えやしない思いだ。

認知行動療法とか、んなもん理屈ではわかってんすよ理屈では鼻ホジーみたいな。

長年の頑強な思考の癖、いや最早生来に近いレベルの性格は、小手先のカウンセリングや啓発本、法話、何とか療法の類いで根本的に良くなりはしない(私の場合)。
その場ではなんとなくそうかな、となるだけだ(私の場合)。


辛い思いをしながら何十年も自分を痛めつけて生きるという限りなく無駄な行為から解放されたい。労働から解放されたら全ては解決するのだが、そうもいかない。


ただ、そんな思いに一番効くのは、人に触れることだ。
人間嫌いの私ですらそう思っている。
孤独でいると、主観が強くなり、歪む。


じゃあ本やネットで情報を得たらいいじゃない、と思うだろうが、自分で進んで得る情報は自分に都合のよいものを選ぶので、やはり偏る


受信ばかりでなく、自分の気持ちを発信する、メモ書きでもいい、このブログのようによく知らないどこの誰かでもいい、信頼できる人なら更にいい。


そんな思いを抱きながら毎日を過ごす私であった。